1時間の車の運転がきつい
障害者就労支援センターの紹介で、昨日から造船所の事務の実習に行くことになっていました。
でも、通勤に車で1時間かかるのです。車で1時間は私にとってとても辛いです。
1週間に1度なら、まだ我慢できそうな気もしますが、毎日往復2時間も車を運転するとなると、絶対に途中で挫折します。
だから、断りました。
ファイナンシャルプランナーの先生には『勿体ない!!あの会社なら社会保険にも加入できたかもしれないのに!!』と言われましたが、辛いものは辛いのです。
障害者就労支援センターの人には、『行く前から断られたら紹介する仕事がない・・・・』と言われましたが、長時間の車の運転は辛いんだって!!
何度言ってもわかってもらえないんですよね・・・・・・
どうしたら楽になれるかじゃなくて、どうなりたいか?を考えてみた
私は人に嫌われているという思考に苦しんで、今までの人生はそれを解決することにエネルギーを注いできました。
昨日、友人に言われました。
『どうなりたい?どんな自分になりたい?』
言われてみれば今までの人生でそんなこと考えたこともありません。しばらく考えました。
そして思いつきました。
『人を気にせずのびのびとやりたいことをやる』
これが私のなりたい自分です。
目的地がはっきりしないと、願望は実現しません。今まで悩みが解決しなかったのは、楽になりたい楽になりたいというばかりで、どうなりたいか?という目的地がハッキリしていなかったからだと思います。
あなたはどうなりたいですか?どんな自分になりたいですか?
オレが逆の立場だったら、そんな奴に近づかんわ
すると後ろの車が遥か後方に下がっていくではありませんか?!
まるで「こんな気味悪い奴には近付かんとこ」とでもいうかのように。
車間距離を取っているというには、あまりに離れすぎです。
私はメラメラと怒りが込み上げてきました。
で、帰ってからのこと。
私は週に一度セラピーを受けているものですから、セラピストにそのことを話したんです。
するとセラピストは言いました。
「あなたが逆の立場で、チラチラチラチラ後ろを気にしてバックミラーをしょっちゅう見ているような車がいたら、あなただったらどうする?」
私は想像してみました。
私が車の運転をしていて、前の車の後ろに近づいたら、前の車の運転手がチラチラチラチラとバックミラー越しに私を見ている光景を。
そしたら、私は気味悪いから、その車から離れるだろうなと思ったんです。
「わかるわ!!気味悪いもん!!」
そう思ったら、私の車からとてつもなく離れていった車の運転手に対する怒りも無くなりました。
自分が気味悪いと思って離れていくんだから、人が気味悪いと思って離れていくのも仕方ないなと思ったんです。
相手の立場に共感したんですね。
相手に共感すると、怒りは消えていきます。
結局、私がされていると思っていることは、自分が人にしていることでした。
もし、人の許せない言動があったら、その人に怒りを向ける前に、自分が逆の立場だったらどうするだろう?と想像してみて下さい。
自分がやらないことは、人にされてもわからない。
皮肉を言わない人は、皮肉を言われてもわからない。
意地悪をしない人は、意地悪をされてもわからないんです。
嫌われていないと言われても信じられない・・・・・
その話し合いの中で私の症状のことを聞かれました。
私は人が自分の視界に入ってくると気になって苦しいということ、だから事務所で隣り合わせに座るような環境は辛いし、そうやって自分が人を気にしていることで人に嫌がられている気がして苦しいということを言いました。
他にも車の運転をしていて、前の車のバックミラーに映る運転手さんの目が気になって、嫌がられるから見てはいけないと思えば思うほど凝視してしまうこと。自分が運転していても、自分の車のバックミラーに映る後ろの車が気になって気になって、前を見ながらもバックミラーを凝視してしてしまうこと。そんな状態なので車の運転は苦しいことを話しました。
そしたら、障害者就労支援センターの職員さんが、私に質問されました。
しばらくの沈黙の後、
『いやいや、そんな冷静だったら、こんなに苦しんでませんよ』
『でも、人に嫌がられているというのは自分の思い込みなんだ、人はそこまで人のことは気にしていないってわかっているんでしょう?』
『いやあ~、それが怪しいんですよ』
そうなんです。実際、私は人に嫌がられていると本気で思っているんです。それも結構な人数の人に。
友人からは、そこまで人はあなたのことを気にしていないって言われるんですけど、ダメですね。どうしてもそう思えない。
対人恐怖症と言っても家から出られない人もいるらしい
今日、精神科の先生に聞いてみました。
『先生の患者さんには私と同じような対人恐怖症の方はいらっしゃいますか?』
先生の答えは予想外なものでした。
『若い人もいらっしゃいますし、若い頃に発症されて、そのまま年齢を重ねていらっしゃる方もいます。若い頃に治った方もいらっしゃいますし、治らずに家から一歩も出られないという方もいらっしゃいます』
そんな方はどうやって診察に来られるのだろう?と思ったが、先生によると診察だけは意を決してなんとか来ているそうだ。
そんな状態だから当然社会と関わりはなく、障害年金で暮らしていらっしゃるとのこと。
私は言った。『そういう人と比べたら、私はまだ社会と関わりが持てているから軽い方ですね』
でも、軽いからと言って、その分幸せを感じられているかというと、それはまた別の話だ。
私のやりたいことって何だろう?
ネットで縁があったある人から問われた。「あなたの実現したいことは何ですか?」
その人が言うには、実現したいこと、やりたいことがハッキリしていればいるだけ経済的に豊かになれる可能性が格段にあがるのだそうだ。多くの人が経済的に豊かになれない原因は、どうなりたいのか?どうしたいのか?ビジョンがハッキリしていないからだという。
うーーーーーん、昨日から考えてみるんだけど、何がしたいのか?どうなりたいのか?さっぱりわからない。
働くのがイヤとかはあるけど、じゃあ働く必要がないくらいの収入があったら楽しいか?と想像してみると、お金があるだけじゃあ全然楽しくない。
多分、6億円ぐらいあっても、最初こそは嬉しいかもしれないが、やりたいことがなかったら、そのうちただの紙切れに見えてきて虚しくなるに違いない。
何がしたいのか?どうなりたいのか?これは不安を解決するより、時間をじっくりかけてハッキリさせるべき大切なテーマな気がする。
私が人生に希望を見出したとき
昨日のお金のセミナーでは、毎月の収入と支出を明らかにして、貯金するためには毎月これぐらい貯金したいと目標を立てましょうというお話でした。
私は話を聞いていると段々虚しくなってきました。というのも、今は光熱費や食費などは親が払ってくれているから生活が成り立っていますが、私の今の収入だけではそれらの生活費を賄えないからです。いくら話を聞いて収入と支出を見直しても収入が増えるわけじゃないから、やっても無駄だと思い始めたのです。
セミナーが終わった後、講師であるファイナンシャルプランナーの先生に聞きました。「私のように収入が少なく、親に生活費を補填してもらっているから生活が出来ている人は、収入や支出を見直しても無駄ではありませんか?収入を増やすことを考えなければいけないのではないですか?」と。
それに対してファイナンシャルプランナーの先生は「いいえ、無駄にはなりません!!もちろん収入を増やすことを考えることも大切です。ただそれはアラジンさんに無理が無いのであればです」と言われたのです。
その時、私は気付きました。そういえば私は子供の頃から理想の状態になれないと分かったら、もう努力しても意味がないとすべてを諦めるところがあったなあと。
水泳で他の人がみんなゴールして、自分は最後だと分かった時、今さら一所懸命泳いでも意味がないと、やる気がなくなったこともありました。
過去の習慣が私に起こっていたと気付いた時、目の前がパァ~っと開けたのです。過去の習慣から解放されると気持ちも軽くなります。
まだやれる
私が希望を見出した瞬間でした。